今やメディアで大人気の小田切ヒロさん。YouTubeの登録者数は〇〇人( 月 日現在)
最近、自分の親は毒親だったことを自身のチャンネルやインタビューでも公言されましたが、そのオープンな言動や姿勢、マイナスをプラスに変えていくという自身の体験を基にしている発言が、多くの方に勇気を与え、さらなる人気や、支持を得ているようです。
そんな小田切ヒロさんの毒親エピソードや、家族構成、経歴などをここでは取り上げて行きたいと思います。
小田切ヒロの両親や家族構成は?
ここでは、毒親エピソードにつながる小田切ヒロさんの家族構成について簡単にまとめました。
- 生年月日:1982年2月12日
- 家族構成:父(金融系の事業を営む経営者)、実母(5歳の時に離婚し家を出て、その後蒸発)、実姉、実弟は施設暮らし
- 父親が再婚後、継母、血のつながらない姉2人と同居
(感想)
小田切ヒロの毒親育ち?衝撃のエピソード3選
小田切ヒロさんの毒親エピソードを3つお話していきたいと思います。
エピソード1 「あなたには才能がない、生きてる価値なんかない」

小田切ヒロさんは2024年に発売された著書「美容中毒Ⅱ」の中で、16歳の時に継母から「あなたには才能がない、生きてる価値なんかない」と言われたことについて触れています。
当時は親を恨む気持ちが大きかったという小田切ヒロさんですが、この一言がきっかけで家を飛び出し、それからは一人で生きてきたそうです。いまの活躍される原動力になったとも話されています。
エピソード2 「もっと男らしくしろ」
小田切ヒロさんは、小学校の頃から編み物クラブに入って、その腕前は、編み物コンテストで3年連続優勝するほどだったそうです。
また、「小さい頃から、髪をいじるのが大好きで、よく姉たちの髪をいじらせてもらっていました。母はメイクが大好きな人で、彼女のメイク用品を見るのが好きでしたね」
しかし、中学に入った頃に親や家族から「もっと男らしくしろ」と言われ、仕方なく個人競技ができる卓球部に入ったそうです。
そのようにして入った卓球部ですが、なんと最後は部長も務めたそうです。当時を振り返り、小田切ヒロさんは「〝1つのことを成し遂げる忍耐力〟が鍛えられたと思ってる」(*MOREより引用)と話されています。
男らしさを強いられながらも、子供ながらにそれを受け入れ、そこから学びを得たと言えるヒロさん。今成功してそのように辛い過去について前向きな発言ができることは、本当に素晴らしいですよね。
エピソード3 お金の運び屋にされていた。
小田切ヒロさんの父親は、女性遊びが激しかったため、家にお金を入れてなかったため、継母はお金を作るために、通ってもいない習い事の集金袋をヒロさんにわたし、父親から集金袋にお金を入れてもらうようにと促していたそうです。
嘘と分かりながら、断れずに、集金袋を持って父親と継母の間を行き来していたヒロさん。ほんとはそんなことはしたくなかっただろうと考えると、せつなくなりますね。
その後、どのようにして今の成功に繋がって行ったのでしょうか。
次の章からは小田切ヒロさんの経歴についてお話しして行きたいと思います。
小田切ヒロの経歴は?
16歳で家を出た後からどのような仕事、出会いがあり、今の成功へと繋がって行ったのでしょうか、その経歴についてお話ししていきます。
父親について
金融系の事業を営む経営者だったそうです。
実親について
小田切ヒロさんが5歳の時に離婚をきっかけに生き別れ、その後、蒸発したそうです。
継母について
小田切ヒロさんが父親が再婚。ピアノの先生をしていたそうです。
兄弟姉妹について
二人の姉(継母の連れ子)、実姉一人、実弟一人います。
まとめ
複雑な生い立ち、過去がありながらも、幼少期からそれを生き抜いた小田切ヒロさんは本当に精神力が強い方ですね。「マイナスには全てプラスの側面がある」私もヒロさんの発言に前向きなパワーをたくさんもらいました。今後の活動も目が離せません、私も大いに応援していきたいです!