小田切ヒロは毒親に育てられたって本当?今の成功や魅力に至るまでの生い立ちや経歴は?

タレント

今やメディアで大人気の小田切ヒロさん。ご自身のYouTubeチャンネル「HIRO BEAUTY CHANNEL」の登録者数は146万人(2025年6月現在)で今も増え続けています。

最近、自分の親は毒親だったことを自身のチャンネルやインタビューでも公言されましたが、そのオープンな言動や姿勢、マイナスをプラスに変えていくという自身の体験を基にしている発言が、多くの方に勇気を与え、さらなる人気や、支持を得ているようです。

そんな小田切ヒロさんの毒親エピソードや、家族構成、経歴などをここでは取り上げて行きたいと思います。

小田切ヒロの両親や家族構成は?

ここでは、毒親エピソードにつながる小田切ヒロさんの家族構成について簡単にまとめました。

  • 生年月日:1982年2月12日
  • 家族構成:父(金融系の事業を営む経営者)、実母(5歳の時に離婚し家を出て、その後蒸発)、実姉、実弟は施設暮らし
  • 父親が再婚後継母、血のつながらない姉2人と同居

父親について

金融系の事業を営む経営者だったそうです。

母親について

小田切ヒロさんが5歳の時に離婚をきっかけに生き別れ、その後、蒸発したそうです。

継母について

父親の再婚相手。ピアノの先生をしていたそうです。

兄弟姉妹について

二人の姉(継母の連れ子)、実姉一人、実弟一人います。

このように、生まれ持って、複雑な家庭環境の中に身をおかれていた小田切ヒロさん。今ご活躍されているからこそ、どのようにして大変な環境を乗り越え、今の成功と、魅力的なオリジナリティを築かれてきたのか気になりますね!

次の項では、話題になっている小田切ヒロさんの毒親についてついてついてまとめてみました。

小田切ヒロの毒親育ち?衝撃のエピソード3選

ご自身のYOUTUBEやご著書でも触れられている、小田切ヒロさんの毒親エピソードですが、

ここでは3つピックアップしてお話していきたいと思います。

エピソード1 「あなたには才能がない、生きてる価値なんかない」

小田切ヒロの写真
オトナミューズより引用

小田切ヒロさんは2024年に発売された著書「美容中毒Ⅱ」の中で、16歳の時に継母から「あなたには才能がない、生きてる価値なんかない」と言われたことについて触れています。

多感な時にこのセリフは、その心の傷を考えると、想像を絶しますよね。

当時は親を恨む気持ちが大きかったという小田切ヒロさんですが、この一言をきっかけに家を飛び出し、それからは一人で生きてきたそうです。いまの活躍される原動力になったとも話されています。

このセリフが切り札になったのですね。

エピソード2 「もっと男らしくしろ」

小田切ヒロさんは、小学校の頃から編み物クラブに入って、その腕前は、編み物コンテストで3年連続優勝するほどだったそうです。

また、「小さい頃から、髪をいじるのが大好きで、よく姉たちの髪をいじらせてもらっていました。母はメイクが大好きな人で、彼女のメイク用品を見るのが好きでしたね」
しかし、中学に入った頃に親や家族から「もっと男らしくしろ」と言われ、仕方なく個人競技ができる卓球部に入ったそうです。
そのようにして入った卓球部ですが、なんと最後は部長も務めたそうです。当時を振り返り、小田切ヒロさんは「〝1つのことを成し遂げる忍耐力〟が鍛えられたと思ってる」(*MOREより引用)と話されています。

男らしさを強いられながらも、子供ながらにそれを受け入れ、そこから学びを得たと言えるヒロさん。今成功してそのように辛い過去について前向きな発言ができることは、本当に素晴らしいですよね。

なんども辛い言葉を浴びながらも、ただで起きないのが小田切ヒロさんですね!

エピソード3 お金の運び屋にされていた。

小田切ヒロさんの父親は、女性遊びが激しかったため、家にお金を入れてなかったため、継母はお金を作るために、通ってもいない習い事の集金袋をヒロさんにわたし、父親から集金袋にお金を入れてもらうようにと促していたそうです。

嘘と分かりながら、断れずに、集金袋を持って父親と継母の間を行き来していたヒロさん。ほんとはそんなことはしたくなかっただろうと考えると、いたたまれない、せつない気持ちになりますよね。

小田切ヒロの経歴は?

16歳で家を出た後からどのような仕事、出会いがあり、今の成功へと繋がって行ったのでしょうか。

美容室勤務 時代

高校卒業後、地元美容室に就職し、次第にジュニアスタイリストからスタイリストへと昇格。そこで顧客も増え実績を積みながら、やればやるほど、髪の毛だけを直しても、自分の提案する理想に近づけない(メイク含めトータルに美を追求したかった)と違和感を覚えたそうです。

そこで、美容室に通いながら、通信制美容学校(メイクの学校)も習い始めたそうです。当時は夜はコンビニでも働いていたため、YOUTUBEでも、「当時3束のわらじを履いていた」とおっしゃっています。

誰にでもできることではありませんね、小田切ヒロさんの情熱に驚きます。

化粧品会社勤務 時代

外資系の化粧品会社の美容部員として勤務。ここでも小田切ヒロさんがお客様に提案する商品、化粧品は、ほぼ100パーセントといったほど、売れたそうです。

石の上にも3年、をヒロさんは継続を大事にされていて、年勤め上げ、結果を残した時に、次のステップアップを考えたそうです。

藤原美智子氏を師事。その理由とは?

なぜ、藤原美智子さんを選んだのか、小田切ヒロさんはこうお話しされてます。「当時〝メイクアップアーチスト〟の地位を築き上げた人、そしてメイクアップアーティストの先駆け・パイオニア」「藤原美智子さんによって、メイクアップアーティストという裏方の仕事をフューチャされるようになった」とおっしゃています。

面接の時に小田切ヒロさんは当時ご自身がされていた「チベット体操」をお披露目して、藤原美智子さんの大爆笑をゲットしたそうです。その大爆笑を見て、受かったと確信されたそうです。

あの藤原美智子さんの前で、チベット体操!ユーモアと勇気がありますよね!

弟子入りしたのが28歳、そして33歳まで続けたそうです。

デビューしてからはトントン拍子?

それまで多岐にわたる下積み、努力、経験をしていたヒロさんだからこそ、「自分と同じことができる人はこの世に一人もいない」とおっしゃってます。全ての経験がこの自信につながっているのですね!

またデビューして3年のまだ新人と呼ばれる時に、「SHISEIDO GLOBAL COLOR ARTIST」の日本代表になったことが、今でも自分の誇り、プライドとおっしゃってます。
そこからますます世界が広がり、いまではご自身のチャンネル「HIRO BEAUTY CHANNEL」で、146万人ものファンを持つ小田切ヒロさん、その強くて情熱的な生き方に魅了されるばかりです。

まとめ 小田切ヒロさんの名言

複雑な生い立ち、過去がありながらも、幼少期からそれをバネにして、生き抜いた小田切ヒロさんは本当に精神力が強い方ですね!

「マイナスには全てプラスの側面がある」

「情熱。そして、とにかく続ける。」

「続ければいつかそのトンネルを抜ける。光が見える。続けなかったら暗いまま」

「好きなことだけを追求したらうまくいかない。得意なことを追求する」

心に響くセリフがたくさんあります。

私もヒロさんの生き方、姿勢に、前向きなパワーや、情熱・元気をたくさんもらいました!

順風満帆ではないからこそ、その生き方に、皆さん魅了され勇気をもらうのですね!

今後の活動も目が離せません、これからも大いに応援していきたいとおもいます。

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました